あれから色々あって


本作りは、金銭不足から、1時中止となりましたが、

その後も本作りのアドバイスを受け、金銭的な提示も受けましたが、

やっぱり金額が、高く、本作りに金銭的に合わせて、本の作り方も云われましたが、

その点は勉強に成りました。

結局の所、金額を下げればそれなりの本しか出来ず、私が思い描いている

並みの本を作るには、それなりの金額をのしてくる。

「月夜の墓・影とダンスをすれば…」を金額を掛けても、

自分の期待する本を作っても、売れなけれが、

投資した金額だけではどうやら終わらないようだ。

今の所、「月夜の墓・ダンスをすれば…」知人たちの協力で、募金集めをして、本を作って呉れる事に成ったので、

編集に入っているんだが、これがみんな仕事の合間での作業なので時間がかかっている。

そんな所です。

マァー年内には編集は終えたいと伝えていますが……

一時見あ合わせって事に



結局、金銭的に無理だって事に成って、1時見合わせって事に成った。

神戸で震災に合った時、殆ど持ち金を注ぎこんだ為、

今だに余裕がないのがわが家の家庭だ。

だから月夜の墓・影とダンスをすれば…」は見合わせる事に成った。

あの神戸淡路大震災の時は、店が2件破壊、

自宅が破壊、3軒の震災破壊で、立て直しの際には、

殆ど10年に渡り、収入では補えないので、継ぎ足し金で

全部はたいてしまった。

要するに2重ローンって奴です。

それを3軒も抱えての支払いだから、1月の支払いが32万円あった。

2年目には幾ら働いても行き詰まって来たので、銀行に話して減額支払いに

組み替えて貰ったが、それでも17万円の支払って事だね。

組み替えって事は、支払期間が長く成るって事だから、

今だに支払いを続けている。

此の年金暮らしに入った私がだ。人生借金暮らしの生活を余儀なくされている。

そんな中での今回の、金策作りなのだから、余裕が無いの仕方がないって事か…




結論は…

 
8月中にはわが家では結論が出ず。

¥160万円と云うと、そう簡単に出せる金策ではないのに

我ながら貧乏人だなァー、と、つくづく思う。

「月夜の墓・影とダンスをすれば…」

何とか出版してやりたいものだ。と思いだけは大きいのだがなァー。

手作り本は、自分なりに作って本にして、知り合いに読んでも貰い、

好評なだけに、残念で仕方がない。

9月に入ってしまったが、誰か気前の良い人が居れば

寄付してもんだよなァー

そんな天使は居ないだろうからなァー(^^):

夢でも出て、出版に力を貸して欲しいもんだ。なーーー。


本作りの金策乏しく


担当者と話が出来て、総ページ数が160ページまだ良いとのことで1安心だが、

問題の金策作りが依然と難航している。

契約書が来たので読んでみると、以後は、本の権利は会社にあって、以後は、売れ残っても

こちらの買い取りって事になるようだ。

「月夜の墓・影とダンスをすれば」が

売れ残ったら、管理費がどうやら発生するようだ。

買い取りが出来な刈れば、廃棄処分って事になるから、

売れない物は、用はないって事になる。

それは本に限らず、どの商品でも同じ事なだろうが、よくよく考えてみると、

1発勝負って事なんだろうなー。

そんな1発勝負に¥160万円も掛けるほど、我が家には無いしなー

此処は考え物かも知れない。

今月中に、契約書にサインしないといけないのだが、

我が家には、貧困で金が足りない???苦笑いだ。ニイー(=x)



我が家の金策付く入りは?

わが家の大蔵省は、金額が金額だけに中々首を縦に振らない。

気持ちは判るんだが、一家の話し合いより、外部の話が多すぎる。

今はやりのオレオレ詐欺の新手ではないか?などと話が他所から聞いてくる。

私は現に、文芸社の担当者に合ったし、会社にも電話を入れたし、

物事は疑えば切りがない。

そんな訳で、余興が入って、肝心の金策作りの話が進まない。

私には月夜の墓・影とダンスをすれば…」は、面接の相談会の時に

手渡した「手作り本」には、カットした部分が多く、私としては気掛かりな部分が多かった。

それと云うのも、孫の意見を以前聞いていたのです。

原稿に応募する場合は、中編を除いて、大体100枚が基準だと聞いていたので、

私の元の原稿は、183枚あったので、短くしても145枚が精一杯いだった。

それを更に40枚ちじめての作品だったから、私としては心残りだった。

担当者の青山さんに、その事を話すと、一度元の原稿を送って下さいとの事でしたので、

急きょ修正に取り掛かった。

何せ、元の原稿をアレコレ弄ったので、前後状態で修正集めに今日までかかった。



8/19

本作りの出版見積もり、


私の初版となる「月夜の墓・影とダンスをすれば…」

見積もりが文芸社からから届いた。

・A5用紙、124ぺーじで写真5枚入りで1000部作成、

・全国通販で150店舗で(2回に分けて)販売されるそうです

・店の陳列台に1ヶ月並ぶそうです。

これが私へ約束事でした。

普通は製本しても、殆ど新人の作品は昔とは違って、

店に並ぶ事は無いそうです。

賞を取るか、有名人に成るかしか無理な様です、店主の方も殆どリスクが多すぎて

引き取らないのが現状だとか?。

・その点文芸社では、約束してくれていますので、
・私の気持ちも乗り気になって居るんです。

そして、その初版の見積金額は、

総額¥2.434.000-でしたが、値引きされて、¥1.634.000-と記されていた。

販売には宣伝費用も含みますから、相応な金額だとは思います。

ですが私にとっては、大金ですから、まずは妻の意向だ1番大切な

意見には変わりはありません。

ですが…私の気持ちは、すでに出版の方向に傾いています

私の初本になるかも知れない「月夜の墓・影とダンスをすれば…」

世に出してやりたいのです。



8/11(日)



出版費の見積もり



今から15年ほど前、私が神戸に居る時、

仲間と1諸にある雑誌を作るために、個人出版社に訪れたことがある。

このときのA4雑誌、150ページで100部、¥60万円だった。

それもごく有り触れた、素っ気ない本なので気落ちしたことが合った。

それ以来、私は立ち沢って居なかったが、

それから考えると、相当な見積もりが来るのだろう、

と思って覚悟をして待っていた。

私が畑の仕事を済ませて、夕方に戻ると、

待っていた、文芸社からの封書が届いた居た。

さぁー拝見です。わくわくしながら、見積書に目を通し始めたが、

見積もりの仕方が、ふつうの書き方と違って、

項目だけが連なり、良く私には判断しかねた。

どの金額が、正式な金額だろう。と思いながら、

私は 明日を待って、電話を入れる事にしたのです。


8/9(金)





出版に付いての初本



初心者の本作りに対しては、文芸社では、初版の出版に関しては、

1000部製本して自費出版となる。

これは新人にはリスクが多いいため、会社としては当然なことです。

但し、店舗に通販流通の乗せて貰う事は大変な事で、これを約束する代わりには、

社の担当者の目は厳しい物です。

それだけ全国通販に乗せるって事は、全国の書店も厳しい目で見ます。

売れそうもない新人の作品なんか、書店も厳しい目で選ぶからだと云われる。

わたしの「月夜の墓・影とダンスをすれば…」それに幸いにも

パスしたんです。運が良かったんでしょう。

最初は自費出版だから、その見積もりが楽しみでもあり、

金額に添えるかどうかが又心配だ。


8月7日記




作成本について、担当者からTEL



8月5日 月曜日の午前10時を待って、私は担当者の青山さんに、電話を入れるつもりでした。
本当は、8時にも電話をしたかったのだが、月曜日の週明けは仕事の段取りで
忙しいと思い、時計を前に我慢して待っていたら、5分前に携帯が鳴った。
出版企画部の青山さんからだった。

私の作品「月夜の墓・影とダンスをすれば」を六人の原稿審査担当部諸で、
丁重に拝読結果、本の作成にOKが得られたのことでした。
変わった作品で、感動しましたと云う、嬉しい言葉の頂いた。

私は、この場で直ぐに作成に賛同のお願いしましたよ。
電話をする前から、送られた11枚の書面を何度も目通しをしていたし、
説明会でも聞いて居ましたから、私の腹はすでに決まっていました。

めったに無いことですが、私のこの「月夜の墓・影とダンスをすれば」を
弊社の全国流通出版で書店に陳列出来る。
と判断されたとのことでした。
ので・・・もう嬉しい1言です。

それでも信じられない気持ちがありましたから、1言だけ訪ねました。
私の「月夜の墓・影とダンスをすれば」を読み終えた
直ぐ後の直感を、私は1番知りたい感想でした。
すると矢張り、感動しました、変わった作品でした。と云われた。
私が1番聞きたかった事を、そう言って下さった。

私は自分の長い人生で、いつも自分の直感を大切にしてきました。
あまり考えすぎた答えは、いつも外れることが多かったように気がします。
その点、自分の直感で判断した時には、殆ど期待通りに答えが得られて様に思う。
その代わり、外れた時には大きな打撃も経験しています。

今回は、担当者の青山さんを信じて掛けてみょうと決めました。
と言っても、説明書にもあったように、売れて幾らの商売、
果たして売れるかどうか????。
それは本が発売されてからの問題だ。とは・・・判って居るのですが……、
私の直感は、すでに私の中では動き出しているのも確かなんですよ。

電話は私の承諾で、今後に進むことになりましたが、
どんな転回で進むのか、素人の私の取っては、先は全くの暗闇、
後はプロの方にお任せして、その流れに乗せて貰うだけですが・・・。






作品「月夜の墓」担当者からの講評




文芸社から送られてきた封書には、A4用紙11枚、びっしり書き込まれたあった。


内容は、
1)作品の講評   === 私の提出した「月夜の墓・影とダンスをすれば」に対する説明
2)日本の出版事情 === 説明会で聞いた、同じ内容の確認書
3)弊社が今回行う事=== 私の作品、「月夜の墓」を本にする話
4)特別に行う事  === 今後、本を販売ルートに乗せる話
5)まとめ     === 上記の纏めと、文芸社の熱意が感じられた
と、判りやすく分離させて説明されていた。


*文芸社、「出版企画部リーダー」青山さんから、丁重な指導がなされていた。

1)の、作品の物語の内容については、良い評価を下さり、私は舞い上がってしまった。
  ただし、文書の中で、判りずらい部分や日ごろ使われない漢字が多いとの指摘が有り、
  プロの目から見た指摘でしたが、本に作成する場合は、凡て編集部の方が一人ついて、
  修正に当たって下さるそうだ。
  何せ、本作りなど全く無縁の私ですから、後はお任せするだけですよ。

2)本は売れて幾らの製品ですから(説明会と同じ)売れなければ、全部買い取りって事に成る。
  それも本屋さんの陳列台に並ばないと、売れないのが現状だそうで、殆どが陳列台に並ばない
  作品が多いそうだ。
3)4)今回は書店に並ぶことを約束して下さるそうだ。此れは大変な作業だと、
  何度も聞かされていたので、ありがたい話です
  後は、お客さん次第で、売れる事を願うだけです。
  新人の通り門ってのは、本当に難しそうです。


*全くの素人で、赤子の様な私ですが、好奇心だけは大精で、今の心境は、迷う所が多いのも確かだ。
 後は、相談次第なんだろうが、??。然し、私の腹は決まっている。



本作りの説明会に参加


思わぬ返信が、文芸社から届いた。

まさかこんなに早く、返事が届くとは思わなかった。

事の始まりは、中日新聞の{本作り)の説明会の広告だった。

7月19日(金)PM1時から、豊橋駅「ホテルアソシア豊橋」2Fで行われ、
私には出版社の内情など、全く知るよしも無いので、好奇心だけで参加しいた物だ。

参加者は思っていたより多く、20人ばかりいた。

2時間の抗議だったが、出版界の内情が誠に厳しい世界であることが良くわかった。

簡単に言えば、売れて幾らと云う世界なので、厳しいのも道理だった。


参加者の中には、原稿を持ち込んだ人もいたし、個人的な相談もあり、
私も急遽、1週間ばかりの日数の間、書きためていた1編を1冊の本にして持参して行く。

企画担当者にお渡しして帰ったのだが、恐らく、半年くらい後だろうしか思っていなかった。

説明では、1日数百通以上の原稿が送られてくると、聞かされていたので、私の本などを読んで評価する
時間は無いだろうと思っていたから、気にしないようにしていた。

処が、その返事と内容の説明が届いたのが。

「えー、こんなに早く・・・」

と言うのが、正直な驚きだった。

8/1の夜のことである。



映写技師に成って

1955年(S30年)の年は(当時私は16才)
私が中学校を卒業した年だった。

4月に卒業と同時に大阪の出版社の積りで就職した会社が、全く違った会社で、3カ月勤めて判った。
その会社は、学業の本のカバーや学業用品を扱う会社だった。
私の希望とは違って、夜勤も多く私の楽しみなど殆ど無くなって居た。
そんな折、父親が様子を伺いに来たので、話をして退職、帰郷させて貰った。

小野田市の自宅へ帰って、親しくしていた。兄ちゃん(金田=名前は忘れたが?)私は中学校に入って、
移り住んだ雀田炭鉱の住宅地の中で、私の家の前列の住宅に住んでいた。
その為、良く遊んで貰ったし、私は兄ちゃんと呼んで懐いていた。

そんな関係で、兄ちゃんは既に就職していて、当時花形だった、映画館の映写技師をしていた。
主任を務めていた兄ちゃんの紹介で、私も同じ会社、東チェーン店に入社した。

東チェーンは映画館を6館を持ち、私は金田兄ーの下で働く様になり、主任であった(洋画棺・東劇)に配属された。
私の面倒を見る事で採用された。と、直ぐに父親から聞かされ、私もそれに答えるために良く働いたし、
元々私は映画が大好きだったから、仕事にも熱が入り、合って居た様だった。

私の天職の様な職で、それも洋画専門館だかったから、映画は何処へ行っても見放題、楽しい日々だった。
大東劇場は、現西宇部の駅前(旧宇部駅)にあった。

その頃に書いた日記だから、卒業後の16歳の頃に成る。
古い日記を整理していると、この当時の日記相が出て来たので、自分に楽しみながら、
当時の日記を整理している・・・・(^^)




家族と社会に板挟み

私は長男という立場上、何かに付け、気苦労を追うことの方が多かった気がする。
回りには父や弟、義母と父との間に生まれた三男の五人家族である。

家の中央には父が居るんだが、疲れた顔を見ると、哀れに思うこともある。
私と弟とは、義母は後妻なので、殆ど仲が悪かった。

その精ばかりでは無いが・・・父の仕事も余り上手く行っていなかった方が、大きいかも知れない。
だから私も、常に父の動向には気を遣っていた。

何せ私は、四歳の時に母を亡くし、以後、父と共に小学三年生までは二人暮らしで居たから、
私は父が、世界で一番好きだった。

次男は、生まれた時から母親の祖母の元で育てられ、中学になって我が家にやってくる。
と云う経緯があった。
その父とも、最近は余り話すこともなく、遠のいているのが現状だ。

次男の方は、性格は明るい方で、いつも上機嫌な奴なんだけど、一歩自宅へ入ってくると、
急に人が変わったように無口になって、部屋へ入った切り、余程のことがない限り出てくることがない。

夫々、口も効かない静けさが我が家の現状である。
そんな中だから、私は父や弟たちの間で、小さくなって見守っている時間が多い。

時々私は考える事がある。
誰かが中間の眼を持って、家の中を見ていない限り、いつかは爆発するかも知れない。
と?私なりに・・・云いたい事が沢山あるのに、我慢しながらそう考えながら、その日を暮らしている。

そんな家庭内の雰囲気の中で、父の無言の進言は、私に
「お前の右手に掛かって居るんだからなー」
と、云われているような気がするので、気が重い。

大好きな、父の疲れた顔を見る度に、私の思い過ごしかも知れないが、
そう感ずるのですが・・・。

そして左手は・・・私の仕事場での責任者としての私と、社会人としての社会風土と秩序がある。
この2つの右と左の手からは、今の私には逃れるすべはない。

2つの見えない難々は、これもあれもと私を容赦なく攻めてくる。
そんな中、私はフーッと時折・・・死が・・・横切ることさえある。

その度に私は・・・新聞を賑わしている三面記事を思い出す。

身に覚えのない手紙

*昭和33年度


9月18日

雑居箱を掃除していたら、見様な手紙が出てきた。
誰宛の手紙でもなく、遂い思いついたことを書いたのだろう。
私がおばあさん宛に書いた、内容だと分かった。
読んで居る内に、ジーンと胸に来る物があった。
     長栄劇場にて。

拝啓
おばあさん、その後も元気な事と思います。
私も元気で毎日退屈な日々を送っています。
そんな中で、嬉しいこと言いましょうか、
それとも不運な事だと書きましょうか?。

毎日の退屈な中で、急に今まで思ってもみなかった、
私の知らない姉さんのことが、
急に思い出されて、ゆうつになっています。
遠・・・亡くなっている筈の、たった一人の姉さんの事です。

私が幼い頃に亡くなったので、全く知らない姉さんなのに、
なぜか?漠然と頭の中蘇って来るんです。
顔、形、姿も、何一つ覚えていないのに、
さも、会っていた様に思い出されて来るんです。

私が一つか二つ頃に、亡くなったそうですが、
そんな姉さんの事が、急に会いたいのか?知りたいのか?
私にも分らないのですが?

兎に角、姉さんの姿や顔が、急に思い浮かんで来るんです。
なぜだか判りませんが?・・・。

退屈がそうさせるのか、それとも・・・
今まで、知らず知らずに思っていた事が、
急に此処にきて噴き出して来た物なのか?
それは私にも判りません。

判るのは・・・最近、急に知らない姉らしき
少女が私の前に姿を見せるんです。

あの残された、姉さんの写真の中から
抜け出して、来た様に私を見ているんですよ。


映画好きは母譲り?


3月13日
「トクちゃんの遅夢」を仕上げる。
16へーじ物、
163個になる。

3月18日
「平和な森」を書き始める。

3月21日
映画を見に行く、3本立てだ。
「キスメッド」・・「剣とバラ」・・・「ワニの王国」

3月25日、
映画を見る、2本立て。
「恋慕笠」・・・「落語長屋は花盛り」

3月26日、
大原より帰宅する。
何でも台風が来るそうで、その前触れか?
今日は酷い大雨続きだ。

日記を書きながら、前のページをめくってみると、
色々な事があった物だと、つくづく思う。

ページには特に小さい頃から、随分、沢山映画を見ているのに驚く。
それだけ私も映画が好きだってことだ。
私の母親が映画が大変好きだったそうで、これ?亡き母の親譲りか・・・。

やっと2冊買うことが出来た

 3月

3月7日
「蟻子物語」「コルト君」を書きあげて送る。

3月8日
映画を観に行く。
「10代の性典」(大映)
「喧嘩鴉」の2本。

朝の消防祭で小野田小学校で記念祭の行事が行われる。
役員なので、参加して手伝ったが、云われるままに放水訓練をした。
終了は消防車に乗せられ、小野田市を1周して回った。
痛快だったね。

手塚治虫作 「罪と罰」と「漫画大学」の2冊を買って帰る。

3月10日
八山さんへ原稿を送る。


手紙で通じるもの

 2月1日
湖城君から手紙が届く。
夕方に、柳瀬君と弓子さんからも手紙がくる

 2日
2人に返事を送る

 5日
手塚先生に手紙を送る

 6日
遅れて湖城君と橋本君へ返事を書く。

 8日
柳瀬君から又手紙が来た。
早い、すぐに書いて送ったようだ。

 9日
小崎弓子から返事が届く。
橋本は戻って来たとの知らせ。

 13日
山田君より来る。

 14日
八山君から手紙が届く
次回作の作品についてだ。
柳瀬、尾崎さんへ返事を書く。

 17日
「漫小」が2度目の募集をする。
応募作品に「蟻虫物語」を考案する。

八山さんの「スズラン会」には、
「ヨルト君」の四コマ漫画を五編書くことにした。


バラバラで届く物

1月6日
年賀状、返信追加、
5枚ほど書いて送った。
高松和良君からも帰宅すると届いていた。
映画「ターザンの憤激」を見に行ってきた。

製作年 1952年 。製作国 アメリカ 。
キャスト。レックス・バーカー. ドロシー・ハート
いつ見ても面白い。劇場は一杯だった。

1月7日。
「漫画少年」を買う

1月9日。
手塚先生より、年賀状が来る。

1月11日。
弓子さんからも届いた。

1月17日。
柳瀬君からも、ハガキが届いていた。

1月21日。
田中通子先生より、手紙が来る。

1月22日。
今日から試験が始まる。
柳瀬君に返事を送る。


年明けは映画を見ること


    1954年  (昭和29年度)

1月1日= 賀 正 =
    
映画を見る。
「凸凹海賊船」製作年;1952年、アメリカ作品、
・監督チャールズ・ラモント、
・キャスト:バッド・アボット&ルー・コステロ、チャールズ・ロートン。
ストーリー:旅行費を稼ぐために、凸凹コンビは、宝の地図と姫様を助ける為に、
地図に乗った島を求めて、冒険の旅路となる。

「初笑い寛永御前試合」監督: 斎藤寅次郎 、1954年、脚本:八住利雄。
キャスト:花菱アチャコ、光岡早苗、益田キートン、森川信、相馬千恵子、
打田典子、堺駿二、清川虹子、藤間紫。
・ストーリー:皆伝書持つ物だけが御前試合の資格有り、主人公は江戸の道場へへ帰宅中、
皆伝書を盗まれ、資格が無くなり、泥棒捜しに奮闘。何んとか手に戻ったものの、
今度は道場の弥生が誘拐され、以後紛争にドタバタの転回が続く。

帰りに本屋によると、手塚治虫の漫画が出ていた。
「平原太平記」早速、買って帰る。

1月3日、
墓参りをする。私の母と姉が眠っている。
映画を見る。
「ひばりの春は歌から」監督:斉藤宗一、1954年(昭和29年)松竹。
・キャスト:美空ひばり、鶴田浩二、川田晴久、北上弥太郎。

「お嬢さん社長」1954年、時間:93分、監督:川島雄三、脚本:富田義朗・柳沢類寿、
・キャスト:美空ひばり、市川小太夫、桂小金治、佐田啓二、月丘夢二、
ストリー:乳業会社を引き継ぐことになった孫娘は、歌が好きで気乗りをしない。
ひょんなことから、会社の製品が横流しされていることを知り、
それを突き止めるために、探究を始める。そして犯人を見付け出すが。

1月5日、
家に帰ると年賀ハガキが13枚と手紙が3通来ていた。
年明け早々、気分が良いね。